やませみ37号(2003.10.1発行)

目次
1.飯能市都市計画公聴会が開かれました
2.特集:日よう日ふるさと散歩

3.リレーエッセイ「台風に学ぶ」
4.編集室から(編集後記)

 
 

1.飯能市都市計画公聴会が開かれました

 8月21日飯能市市民会館に於いて、現在埼玉県が策定している『飯能都市計画構想 (案)』について、市民の意見を述べる公聴会が開かれました。県の都市計画担当課の方8名程、市より5名程、一般市民の方6名が公聴しました。
 公述人は4名で、たまたま皆「守る会」の会員でしたが、発表された意見は、以下のような内容で、いずれも「守る会」がこれまで繰り返してきた提言の要点を、参加者それぞれの視点より述べたものでした。
 
〇「天覧山・多峯主山」山中の市街化区域 (武蔵丘団地予定地)の都市計画法に基づいた調整区域への逆線引きを提言
〇武蔵丘団地開発の一部削減と、当地の自然保護・保全を提言
〇県民休養地構想の推進、団地開発による街づくりから自然公園都市への転換を提言
 
 この都市計画案は、今後10年の飯能市の街づくりに深く関わるものですから、私たち市民の不安を解消し希望が持てるものであってほしいと思いますが、残念ながら現在構想中の案は、住宅団地都市プラン破綻の解決策と自然環境都市としての具体案には乏しいものでした。そこで、今回このような公開の場で、市民からの提言を県や市に伝えることができたことは良い機会であったと思います。ぜひとも今後の計画案の中にこれらの提言が具体的に反映されていくことを願っています。
 

★木馬になった間伐材(天覧山・多峯主山の間伐材を生かすーその後)


ズラッと勢ぞろいの五体の木馬


 天覧山裏山の杉・檜の間伐を行ったことは前号でもお知らせしました。その間伐材はボランティアが町へ運び出して、地元の小学校で皮むき体験を行ったり、商店街ギャラリー(ゼフィルス)でミニチュア木馬づくりを行い、多くの子ども達に木に触れる機会を与えることができました。
 今回、毎年行われている商店街の夏のイベントフェアーに木馬づくりが加わった事と、「木と遊ぼう」「木工教室」なども同時開催され、地元産西川材アピールの広がりを見せました。その事は商店街と林業双方の活性化への足掛かりを作ったと思えます。市民に呼び掛けてワークショップを開催し、これまでに5台の木馬が完成しました。その後、飯能市役所ロビーにて木馬づくりを紹介するパネルと木馬を展示。商工会館玄関前に常設展示を予定。商店街のいくつかの店先にも木馬が置かれる事となりました。
 山に放置されてゴミになるところであった間伐材が木馬に生まれ変わった事により、木材資源の活用以上のものとなりつつあります。少しづつではありますが、木のぬくもりが感じられる街になって行けばと願っています。
※ この木馬づくりをきっかけに10月14日〜19日の間ギャラリー・ゼフィルスで『間伐材の活かし方を考えよう』を開催します。木馬の展示や木工作家や作業ボランティアとの意見交換会を予定。どなたでもご参加いただけます。
 


「2人乗りもへっちゃら!」




2.特集:日よう日ふるさと散歩

 1993年、飯能河原に高層マンション建設の計画が立った。その時、景観を守ろうとする市民運動が起き、大きな力となって景観が保全された経緯があります。
 そこから始まった市民活動「はんのう景観トラスト」によって、今後は飯能の景観を壊すことのないようもっと郷土を良く知ろうと「ぶらり・はんのう・ふるさと散歩」が企画され、実行されました。ところが、その後すぐに(1995年)飯能の象徴である天覧山・多峯主山一帯の開発計画があることが知らされました。急遽「天覧山・多峯主山の自然を守る会」を結成、広く自然環境の保全を訴えかけてきました。
 ただ、このすばらしい環境が身近にありながら、あまりにも多くの市民がそのことを知らない事がわかり、毎月1回「ふる里散歩」をこの地に限定して実施することとしました。ひとりでも多くの人にこの地のすばらしさを知ってもらう事と、大切にしてゆこうという 意識を持ってもらうために、それ以来欠かさず行っています。
 今号では最近の「ふる里散歩」でどんなことが見えてきたかを報告します。

☆6月 ホタルの観察会の巻
 今回の観察会では気温・湿度ともに良かったためか、ホタルの里に着く前からたくさんのホタルが飛びまわっていました。風の音やカエルの声などを聞きながら、ホタルのやわらかい光を見るのはとても気持ちが良かったです。
 今回一番印象に残っているのは、2匹のホタルが手の中で光っていたことです。ゲンジボタルは手の中で元気に光って、すぐに飛んでいってしまいました。でも、ヘイケボタルは手の甲にのり薬指の付け根にとまって光っていたので、まるで指輪のようでした。そしてそれは本物の指輪よりずっときれいで、とても良い思い出になりました。
 たくさんのホタルが飛びまわっているのもきれいだったけど、飛びまわったり、飛ばずに木にとまっているのを見ると、まるでクリスマスツリーのようでとてもきれいでした。ホタルたちが作った「ホタルのクリスマスツリー」は、電気で光る電球の光よりあったかくてやさしい光を出していて、なんだかすごく感動しました。
 今回の観察会では、ゲンジボタル・ヘイケボタルともにたくさん見ることができました。普段なかなか見ることができないようなたくさんのホタルを見ることができて、とても良かったと思います。ホタルの里でいつまでもたくさんのホタルが見られるように、自然を守っていけたらいいと思います。

    美杉台中学校3年 原田千鶴


☆7月 天覧山で夕日を見ようの巻
 この8月に飯能市、それも天覧山のすぐ麓に引越してきました。引越し前の7月27日、日よう日ふる里散歩に初めて参加しました。夕方5時に集って、さあ登るのかと思いきや、入口の公園で今年初めてニイニイゼミが鳴いている、ということでまずはセミ探し。鳴声を頼りに親指の先ほどの小さな蝉を発見。その後もこの木のまわりでいろいろ発見していて、一向に山に向う気配がない。登り始めてもきのこや宿り木の花を発見しては立ち止る。全然先を急がない山歩きのスタイルに接して、私にはそれが新鮮でした。
 そして天覧山の裏手、もとは田んぼだったという湿地帯。周りは木立にかこまれて、そのすぐ向うに町があるとは思えない、生活の時間からも町の喧噪からもはなれて迷い込んだような不思議な空間。
 ヌマトラノオ、アキノウナギツカミ……など初めて名前を聞く植物。「あの辺り、草が低いところはイノシシの子が走り回って遊んだ跡です」なんて説明を聞くと、ますます遠いところへ来た気分になる。暗がりの中でひとつだけ光っている蛍をみんなで見る。懐中電灯で木の蜜を吸っているカナブンを照らしてみる。ほとんどが皆初めて顔を合わせた人なのだけれど、2人の男の子を含めてみんな子供に帰ったような時間を過しました。 

        飯能市 大木有子
    

☆8月 「早起き・朝露・蝉時雨」の巻
 台風一過、8月10日早朝のふる里散歩に参加しました。早朝のためか参加者は守る会スタッフの他に市内の中学生二人のみでした。
 嵐の後ということで、山道には無数の小枝が散乱しており、道を塞ぐアオハダの倒木を跨いで越えました。大木が引きちぎられ、ぶら下がっていたり、桜の木が根元から捻り折れていたりしました。坂道では雨水が相当流れたようで、土を削った跡が残っていました。今回の台風は、山の中では相当な威力を発揮したものと思われます。
 多峯主山の山頂では、台風が絡め取っていった天空の雲や塵芥のない清澄な空に、 八が岳・丹沢山系の山々がはっきりとスカイラインを描いていました。奥多摩の大岳山、御前山がいつもよりも驚くほど近くに感じられ、稜線の間からは、富士山の山頂部分がくっきりと姿を現しました。参加した中学生に双眼鏡を渡すと、接眼レンズにデジタルカメラを添えて、富士山の写真を取り込むことができたようです。挨拶を交わしながら山を下りていくと、
 8時くらいでしょうか、ハイカーと男の人が蜘蛛のように岩をよじ登って来るのに遭遇しました。奥武蔵のガイドブックには、この天覧山・多峯主山のコースが、ハイキングだけでなく岩登りの初心者用コースとしても紹介されています。こうしたコースが市内にあるということは大変貴重なことで、こうした台風の直後などに訪れると、また違った自然の姿を見ることができます。飯能駅からも歩いて訪れることができるのですから足繁く訪れて貰いたいと思います。

      守る会 会員 丸山 隆
 
 

3.リレーエッセイ「台風に学ぶ」

 飯能市に移り住んで2年。自然に恵まれたこの地を「終の棲家」と決めて妻と引っ越してきた。

 今年も、繰り返される台風情報を見ながら、かつて洋上で体験した自然の凄さ怖さ、また素晴らしさを思い出す。若い頃のこの経験から思うことがある。
 私が帆船実習生として乗組んだ練習船「海王丸」は1963年5月中旬、横浜港から一路カナダ、バンクーバーへの途についた。将来乗組む外航船の安全航海に資するため、汽船全盛の時代に、帆走という原点に戻った航海を体得する為である。
 往路台風に遭遇した。船の気圧計はぐんぐん下がって 960hPa(ヘクトパスカル)を示している。波しぶきが容赦なく船橋を襲う。雨と風と波が、3700tの帆船を木の葉の如く揺らす。船長以下、乗組員と実習生の、生死を賭けた台風との戦いが始まった。ついに暴風圏内に入ったのは6月10日であった。動くものは全てロープで固定。帆も嵐のための帆を除いて全て畳んだ。万全の準備が整えられた。実習生にとって乗船後初の試練を迎えることになった。波とうねりは30mを越すと思われる。船は上下左右と絶え間なく大きく揺れ続ける。マストはギーギーと軋む。何かに掴まらないと立っては居られない。安全とは聞かされていてもとても生きた心地はないが乗組員に動揺はない。テキパキと指令が繰り返され機敏な動作がそれをフォローする。実習生も負けてはいられない。無我夢中で体が動く。ようやく、気圧計の針が980から990hPaに上がり、暴風圏を脱した。22時間あまりの大試練。準備と闘志、臨機応変な対応の勝利であった。
 今年は、台風が来て長い梅雨、そしてまた台風と自然災害の当り年である。日本のみならず、ヨーロッパや中国でも、地球の自然界に異変が起こっているようだ。人間が住みやすい、自然も穏やかな営みをしてくれる環境であってほしい。今出来ることをみんなの力で即実行の「おもい」が強い。ささやかながら、私に今できることを積重ねてゆくことが、環境への貢献だと思っている。

守る会会員 山田 学


4.編集室から(編集後記)

 築250年を越す、古い茅葺民家が私の仕事場です。この家は柱も梁も囲炉裏の煙にいぶされ、磨きこまれて黒々と光っています。屋根は苔むし、雨に濡れると苔の緑が生き生きとして見えるのがなんともたまらない魅力です。
 この民家で仕事を始める前、半年かけて痛んだ箇所を修理しました。床下の束や大引き、漆喰壁の下地の竹小舞、骨の折れた建具など、補修のために取り壊されて出てくる廃材は、土と竹と木と縄、どれも自然の素材ばかり。あるものは裏山に捨て、土に還り、またあるものは囲炉裏の蒔として寒い冬を心から暖めてくれるエネルギー源として生まれ変わりました。先人の築いた建築文化にはただ感心するばかりです。
 それに較べ現代の建築はどれだけの廃材を土に還すことができるのでしょうか?

やませみ職人