目次
1.新市長へ期待するもの   浅野代表
2.奥むさし環境講座のおしらせ 『エコロジーはエコノミー』
3.「知られざる伝説」をむかし言葉で語る  冨田博之
4.里山・秋・蝶   斉藤太郎
5.自然と共に生きる「もっと好きになる身近な自然」
6.編集室から
7.日よう日ふるさと散歩

1.新市長へ期待するもの 浅野さん

 今年の市長選挙に先立ち、立候補された方々に対し、飯能市の看板である「緑と清流」の保全について当会より公開質問を行いました。選挙に際し公平を期するため、これまで当会からの意見等は一切つけずに全員の解答を公開させていただきました。
 結果はご承知の通り、沢辺瀞壱氏が当選され、新たな市長が誕生しました。
 この機会に沢辺氏から頂いた回答に対し、当会より意見及び希望を述べさせて頂きます。

   れまで飯能市は、団地開発を見   込んで12万人の人口を目標としていましたが、今年度の見直しで推計として8万5千〜9万と修正しました。この事に関して、天覧山・多峯主山一帯に計画されている西武武蔵丘分譲地の取扱いについて考え方を質問しました。
 沢辺氏は、現状及び将来の人口増は見込めないとし、且つ、自然を破壊しての無理な開発には賛成できないと回答しています。
 このように環境優先の方向性は示されたのですが、現在すでに計画されている西武武蔵丘分譲地については、今後の推移を見守りたいと消極的な意見に留まりました。
 沢辺氏の公約にも大きく謳われている市民参加の環境会議の開設等によって、開発企業・行政・市民とがひざを交えて、これからの飯能市にとって何が大切なのかの合意形成が進められてゆく事を願っています。
   覧山・多峯主山一帯に計画され   ている「
飯能県民休養地構想」の取扱いに関しての質問に対して、沢辺氏は、この地域は自然生態系が良く保全されていると認識されており、「一般的な公園としてでなく自然生態系の保全をテーマとした考えによるものが良い」と答えています。
 当会もこの地の自然環境調査を詳細に実施していますが、その自然の豊かさは真に飯能の誇りとして保全・活用してゆくべき場所であると再確認しています。
 「飯能県民休養地構想」を実現するための推進協議会の設置について沢辺氏は、「広く市民の環境を考える会としたい」と回答しており、広く市民に知らしめる提案をしています。
 開発が当分の間、立ち進まないという状況が窺えますので、これを好機と捕らえ、保全のための合意形成をじっくりと腰を据えて築いてゆければと考えています。
   峯主山南斜面緑地(飯能県民休   養地構想地内)に計画されている学校と道路の建設についての問いに対して、沢辺氏は、「位置の変更など開発者と話し合い、できるだけ自然に負担のかからない方法をとるように努力します」と回答しています。
 現存の「西武飯能・日高分譲地」のすぐ近くに、日高市立武蔵台小・中学校があります。当会としては、行政区域にとらわれない実質的な通学区の検討を進めるとともに、必要な道路に対しては、う回案等、天覧山・多峯主山一帯の生態系の要になっている水系の分断を避けた計画に変更するといった方法を、再度提案してゆきたいと考えています。

 以上の通り、自然と歴史・文化に育まれた天覧山・多峯主山一帯は、時代が進むにつれ益々貴重な場所となっています。飯能市の魅力は、何といっても街の背後に控える緑と清流の存在です。その第一シンボルである天覧山・多峯主山一帯の保全・活用は必須であり、飯能の宝を次代に引継ぐ事が出来るよう、沢辺市長のリーダーシップに期待しています。

  天覧山・多峯主山の自然を守る会                 代表  浅野正敏
2.奥むさし環境講座のおしらせ
第6回環境講座  『エコロジーはエコノミー』
 奥武蔵地域の身近な自然は、里山と呼ばれ、かつては人々の暮らし(経済)と強く関わりをもって活用され、循環しながら保全されて来ました。
 近年、こうした多くの自然は、開発優先の名のもとに団地やゴルフ場へと姿を変えて来ましたが、21世紀を迎え改めて自然の大切さが問われています。
 今回、6回目を迎える「奥むさし環境講座」は、『エコロジーはエコノミー』と題して、豊かな自然環境は、私達の暮らしにおける経済に重要な意味を持っている事を、改めて考えてみたいと思います。
    ◇   ◇   ◇
 講師には、環境経済学・エコロジー循環経済学等を専門とし、埼玉県の環境アドバイザーでもある福岡克也氏(農学博士)をお招きします。
 東京50q圏の奥武蔵地域に位置する飯能市は、商店街の低迷、地場産業(林業)の低迷という問題をかかえています。このきびしい状況に経済学専攻のお立場から、活性化の方法を探って頂くとともに、それに対し、身近にある自然環境を保全・活用してゆく事が経済とどのように関係してゆくかを考察して頂きます。

日時・10月28日(日)
      午後1時〜4時半
場所・飯能市富士見公民館
 

3.「知られざる伝説」をむかし言葉で語る

冨田博之
  『なあおめえさん、山ぁえかんべ!幾日もあげ降り(降ったりやんだり)だったかんなあ。おらが山じゃぁ こけえら帯解(おびとき)山だあ。あに? ああ違ぁわあ、山の名前じゃあねえだよ。こけえらぁええ山だちゅうこったい。ナラだあクヌギだぁのホキがええだい。(略) 山ぁ もってねえ(もったいない。大切な)もんだぁ、うっちゃらかしときゃあ百姓は偉ぇこといなっちまぁだよ……(略)』
  『おめえさん、あにぃ あぐぬぃてる(上向いてる)だぁ? ああ、ありゃあ大神宮様(でえじんぐうさま)だぁよ。黒くなんなぁしょうがなかんべえ、百姓は家ん中で火い燃してんだかんなあ。(略)あすかぁなあ、氏神さんも秋葉さんのお札も、成田さんのお札も、榛名さんのお札も、あんのお札も一遍はあすくぃ納めんだぁ……(略)』
 『おめえ百姓の庭い入ってきて、ズックのカカットで凸凹穴っこをあけちゃぁいかねえど。百姓にゃあ庭ぁ大事なもんだあ。庭ぁ見りゃあ、そこん家の様子が知れるっていわいるぐれえだぁ、でええち外聞が悪りかんべえ(略)』
  右のような文章は、今から五十年以上前の、農山村の日常の一場面を想定した私のフィクションです。しかしこれらは、人に読んでもらうために書いたものではなく、自分で読み「語る」ため、つまりは、忘れ去られた伝説や昔話を語る際の導入部分として創作したものです。
  バリエーション次第でいくらでも生まれます。時代は五十年前、七十歳位のお百姓が話し始める。囲炉裏端や縁側や庭先で、田畑や山や野良の道、また火の見下や鎮守の森で、季節や耕作する作物で場面は異なり、そこに当時の農民たちの信仰・道徳・言い伝えなどが絡み合ってきます。  改まることなく「語り」の調子はそのままに、本題の「伝説や昔ばなし」へと移行させていく。私が昔ばなしを語るパターンの一つです。
  私がこのようなこだわりを持つのは、方言や伝説・昔ばなしを、また農民たちの姿を当時の村のありさまを「生の声」で記録しておきたいからです。一言で言えば、総てが消えてしまうものだからです。
  過去数百年にわたって、穏やかに変化し続けてきた、ごくありふれた農民たちの言葉や生活は、昭和三十年頃を境にして急激に変わりました。東京近県ではそれぞれの土地の言葉や昔ばなしが失われました。それはそれで仕方のないことなのでしょう。
  多くの博物館、飯能では郷土館などがそのような文化を残そうとしています。惜しむらくは、行政機関では「声」で残す文化は手がけていないのです。陳列されている民具や農具は大切です、しかし「物」なのです。立派なことには違いありませんが、どこか物足りなさが残ります。土に生きた村人の声が聞こえてこないからでしょうか。私は、歴史と共にあった言葉は、暮らしと共に出来てきた「里山」と同様「土地の文化」そのものだと考えているのです。
  私などに何程のことが出来るのでしょうか? 私にとって何にもまして自分の一番好きなことであり、また気がかりなことでもあるので、その昔には伝承されてきたであろう農民たちの「伝説や昔ばなし」を、学問と言うことではなく、昔の言葉で私なりに記録(録音)しておけばそれでよいと思っています。標準語にこだわらない、優しくも美しい日本の言葉を探し求めて、お年寄りの記憶の底にある話や言葉や自然の姿を聞かせていただくために、かつての村々や里山を一人歩いています。
      入間朗読研究会・入間地方の方言研究会
     高田馬場朗読教室主宰        冨田 博之
     注・1 昔、七歳になると「帯解きの祝い」をしたことから、木の成長の早い山  のこと。
       2 成長すること。
       3 総称として、神棚のこと。大神宮様は天照大神、秋葉さんは、火伏せの 神様。榛名さんは、大風・遅霜よけの神様。
 
 

4.里山・秋・蝶

斉藤太郎
  身近な山の麓で蝶を楽しむようになったのは、子どもができ、春にゴザとお弁当とお茶を持って近くの日和田山の麓の谷地田に家族で行き始めてからである。土手にゴザを広げ、目の前に広がるレンゲ畑で思う存分遊べた。近くのエノキの新芽には越冬したテングチョウやヒオドシチョウが産卵に訪れ、冬を生き延びたオオムラサキやゴマダラチョウの幼虫が、新芽をたらふく食べ、うっすらと翡翠色に染まりかけていた。使い慣れた言葉ではないが、いわゆる里山で中学生の頃なじんだ懐かしい蝶に、いくらでも会うことができた。
  稲穂が色づく頃もいい。ともかく蝶が多い。畑の隅のニラの花には、イチモンジセセリの大群が南の方からやってきている。オオチャバネセセリやチャバネセセリが混じることもある。ヒガンバナにはセリとにんじんで育つキアゲハなどのアゲハの仲間が集まり、お互いの派手さが良くつり合うようだ。
  秋、アザミの仲間には夏眠から醒めたミドリヒョウモン、クモガタヒョウモン、メスグロヒョウモン等、ヒョウモンの仲間が来ている。蜜をたっぷり吸い、卵を地面近くの枯れ葉などにばらばらと産み付けるのだろう。そして翌春卵から出た幼虫は、必死で近くのスミレ類を探し、食草とすることだろう。ヒメアカタテハなどのいわゆるタテハチョウの仲間もさかんに日を浴びて、越冬用のエネルギー源となる蜜などを探しまわり冬に備えている。秋もさらに深まるとキタテハの秋型はますます切れ込みが深くなり、赤みが増してくる。まるでシータテハと間違えそうだ。
  萩で育った秋型のキチョウが、夢中になって蜜を吸っている。彼らは物陰で冬を越し、来春初めて交尾して次の世代に遺伝子をバトンタッチする。がんばれ。萩には、遠く房総の南端で冬を越すウラナミシジミもやって来る。温暖化がもっと進めば土着もできるが……。足下のカタバミで発生するヤマトシジミも、オスは明るい色彩に変わりメスはオスの色彩に似てくる。遺伝子の不思議を見る。元気なモンシロチョウはといえば、つらい夏を小型化で生き延び、秋キャベツで一気に子孫を増やし、多数の蛹で冬を越そうとがんばっている。目には付きにくいが、アオムシコマユバチもきっと気合いを入れていることだろう。
  ムラサキシジミは食樹のカシ類の木に集まり始め、ウラギンシジミが飛び回る。林の縁の黄色く色づいたエノキでは、オオムラサキやゴマダラチョウの幼虫が越冬に備えて灰褐色に変わり、木を下る準備をしているに違いない。春の里山の主役だったツマキチョウやウスバシロチョウ、梅雨時にコナラやクヌギの梢で飛びまわっていたゼフィルスの仲間も、それぞれ蛹や卵に姿を変え、里山で確実に生活している。
  中学生の頃、昆虫採集で高尾山に幾度となく出かけた。国鉄の高尾駅で下車し、中央本線沿いに裏高尾の街道に入り、小仏峠を目指すのがお定まりのコースだった。峠や城山のお茶屋では、おばさんが熱いお茶をただで飲ませてくれた。今思えば学帽をかぶって行くことが多かった気がする。リンドウの咲く頃、ムラサキシジミや秋型のツマグロキチョウが澄み切った空の下をさかんに飛び回っていた。そのまさに『自然』の光景は、都内育ちの私の脳味噌にきっちりと、お鍋のおこげのようにこびりついてしまったようだ。
  秋の里山は黄色く、茶色く、赤く紅葉する。夏に葉が作った栄養分をいっせいに根や幹や越冬芽に移動させ、大仕事を済ませてほっとしている葉っぱの姿である。秋、盛んに活動している多くの蝶を、生きるエネルギーの視点で見ていると頭も下がり、いっそうお弁当もおいしくなる。40年以上も前に刷り込まれてしまった感性が今も現役であることを喜ぶべきか、成長がないのか、そんなことはどうでもよい。蝶に感謝している。
 

5.自然と共に生きる「もっと好きになる身近な自然」
 一日の中で一番好きな時間は、秩父の山並みを眺めながら近所の仲良し犬との散歩の時です。朝の冷たい空気の中で、一面のエノコロ草が風に揺れている様子に平和を感じ、心が温まります。茜色に染まった夕焼け空に向かっての散歩は、そのあまりの見事な芸術に、『このまま雲の中まで歩いて行きたい』という衝動にかられ、一日の仕事の疲れを忘れさせてくれる瞬間です。
 自然に感謝して、とりとめのないことを考えながらの散歩は、私にとってとても贅沢で、自分を見つめることができる貴重な時間。そして、ストレス解消の時でもあります。
 この原稿の依頼を受けて、改めて《自然》の魅力について考えてみました。自然とは人間が生産することのできないもの、と私は思います。例えば、あのフワフワの雲をひとかたまり欲しいとどんなに願っても、手に入れることは不可能です(先頃、東京都は水不足解消のため、人工的に雨を降らせたようですが…)。
 もうひとつは、与えられた環境の中で、精一杯生きる事を教えてくれる存在だということです。
 今年の春、いつもの散歩コースの途中にある溜池に、カルガモが10羽の雛を孵しました。思いもかけない楽しみと出逢い、毎日いそいそと通っていたところ、すっかり顔なじみができ、しばしカモ談義に花が咲きました。カモたちが飛び立つまでのほんの短い期間でしたが、カモを介しての暖かい触れ合いはとても心に残るものでした。
 いずれにしても、私たちが自然から学び、癒されることは無数にあります。
 
 私が多峯主山に登るようになったのは、『守る会』主催の『日よう散歩』に参加したのがきっかけです。今まで知らなかった花や鳥の名前を憶え、観察をし、時には顕微鏡を覗いてミクロの世界を知り、驚きを覚えながら生態系にも関心を持つようになりました。遠くに出掛けなくとも身近に素晴らしい自然があふれている事に気付いたのも、『日よう散歩』からです。
 自然と存分に触れさせて子どもを育てたいという思いから飯能に住まいを求めて、もう21年がたちました。今では子どもと歩くことは無くなりましたが、近頃は招いた都内の友人を連れ、多峯主山のハイキングコースを自分のもののように自慢して歩いています。
 
 最近、これまで想像もしなかったようなイヤな事件が続き、暗い気持ちになることが多くなりました。モノと情報が溢れ、自分を見失い、心が疲れているからなのでしょうか。また、便利さを追求するあまり自然はどんどん破壊されています。自然が私たちに与えてくれることの大きさを再認識し、身近な自然を大切にすることが必要ではないかと思うこの頃です。             

守る会会員 N.H.
6.編集室から
  この30号の原稿が集まっている最中、アメリカでのテロのニュースを各テレビ局で流し続けている…アメリカの大統領が非常に早い反応をする。テロに対する反撃を…  小泉首相も、これも非常に早い反応で、アメリカの対応を支持した。新たに法律を作ってまで…  株価が下がり続けている。株の世界は噂や思惑でも値が上下するが、今回は「ちょっとした」などという…  20世紀までの戦争ではない。国家同士のではない新しい形の戦争になるという…  今テレビで、脚本家と役者が旅する番組を放送している。アウシュビッツでの感想。こんな残酷なことも、戦争はさせてしまう。 「先進国」では、日常生活が環境への過大な負荷と同義なのに、『戦争』だから行われる破壊は、自然環境はもとより、人々の精神環境をも…  あのテロを実行し、支持する心を作ってきた環境とは…  殺し合いはもうたくさん。そんなことのない生活のための「知恵」が無いのか。その知恵こそ「宗教」だったはずなのに…                 混乱する編集・T
 
 

7.日よう日ふるさと散歩
◆10月27日(土曜日です>)
月夜の晩に歩こうかの巻(雨天中止)
○集合  能仁寺山門前 午後6時30分
  初めての夜の山歩きです。
○持ち物  懐中電灯
◆11月11日(日)
秋の味覚を味わおうの巻
   山歩きの後ムカゴご飯を食べましょう○集合  能仁寺山門前午前9時30分
○持ち物  お弁当・お椀と箸
◆12月9日(日)
木の実を拾ってリースを作ろうの巻
   山歩きで拾った松ぼっくりやドングリ    でクリスマスリースを作りましょう
○集合  能仁寺山門前午前9時30分
○持ち物  お弁当
◆2002年1月1日
初日をあびて山を歩こう
○集合 能仁寺山門前午前6時30分
○歩きやすい服装でどうぞ

各月とも参加費は保険料100円
共催 はんのう景観トラスト
   (財)埼玉県生態系保護協会    飯能名栗支部
☆詳しくは編集局にお問合わせください