やませみ27号(2001年1月1日発行)

目次
1、年頭挨拶(浅野正敏代表)
2、2000年活動記録
3、天覧山の両生類と爬虫類(作田 仁)
4、第4回奥むさし環境講座に参加して(浅野哲示)
5、リレーエッセイ「森と私」(丸山 隆)
6、編集室から(秋郷伸一)

1、年頭挨拶「わたしたちはあしたへつないでいこう」

 40余年前私が小学生であった頃、よくガキ大将に連れられて、近くの山に出かけていった思い出がある。宮沢湖から神久山、天覧山から多峯主山、名栗川を渡って竜涯山(りゅうがいさん)から朝日山、そして阿須の山々へワラビや山栗、どんぐり、キノコなど山の幸を採りに出かけた。洞窟探検をしたり「どろぼうじいさん」と呼んでいた鬼ごっこを、山じゅうを舞台に遊んだ記憶がある。
 その頃考えていた21世紀は、とても遠い未来であった。私は、宇宙旅行が出来るかも知れないなどと夢見ていた。
 そして今、21世紀を迎えている。見渡せば、ふるさとの山々の多くはゴルフ場と団地に替わり、子ども達の遊ぶ姿は見えない。
 これまで私は、大量生産・大量消費のかけ声にのって豊かな生活を求めて、自分の事のみのために汗を流してきた。
 1993年、飯能河原の割岩橋の袂に11階建ての高層マンションが建つという計画を知ってから、ふるさとの景観の大切さに気づいた。
 それから2年後、天覧山・多峯主山一帯に団地開発が進められている事を知り、飯能のシンボルともいえるこの地の景観を残そうと行動した。それをきっかけに、月に一度はこの地に入り観察会を行った。春夏秋冬刻々と姿を変える草木一本、虫一匹に到るまで、命の営みに驚かされる。私達もその自然の恩恵の中に生かされている事を識った。守る会の活動も昨年は環境調査や県民休養地についての学習会などを新たに加え、天覧山・多峯主山周辺の豊かさを再確認することができた。
 飯能という街の素晴らしさは、山紫水明の地として名乗れる、身近にあって豊かな自然を背に従えている事だ。
 ふるさとの誇りとしての天覧山・多峯主山の景色が今の、そして未来の人々の心に抱かれ続けることを願いつつ、この大切な宝物を消さないでといい続けよう。

天覧山・多峯主山の自然を守る会代表 浅野正敏


2、2000年活動記録

1月 1日◇ふるさと散歩「初日を浴びて初歩きの巻」
           ◇会報「やませみ」23号発行
2月13日◇ふるさと散歩「待ち遠しいな春の田んぼの巻」
3月12日◇ふるさと散歩「春ーるよ来いv鳥よ来いの巻v」
4月 1日◇会報「やませみ」24号発行
       2日◇東やつ田の保全作業「蓮植とメダカの放流」
      16日◇総会及び講演会「そして干潟は守られた」
5月 5日◇第3回「里山まつり」
      14日◇宮沢湖フリーマーケット出店
6月11日◇ふるさと散歩「夏鳥の声に耳を澄ませての巻」
      24日◇自然学校「ほたるの巻」
             ◇ホタル観察の夕べ、25日・7月1・2日にも
7月10日◇会報「やませみ」25号発行
8月10日◇「飯能県民休養地構想」について埼玉県自然保護課との懇談
      13日◇ふるさと散歩「朝露に濡れながらの巻」
      27日◇「飯能県民休養地構想」の中間報告書についての勉強会、準備会
      31日◇「飯能県民休養地構想」の中間報告書についての勉強会
9月10日◇ふるさと散歩「一般種植物調査をやってみようの巻パートT」
10月8日◇ふるさと散歩「一般種植物調査をやってみようの巻パートU」
11月1日◇会報「やませみ」26号発行
      12日◇ふるさと散歩「水辺の生き物とムカゴごはんの巻」
      19日◇会報「やませみ」美杉台地区、全戸配布
      26日◇第4回奥むさし環境講座「自然と文学・俳句に見る花鳥諷詠」
12月3日◇壱番市フリーマーケット出店
      10日◇ふるさと散歩「大きな木を探そうの巻」
その他に◇丸広前、市役所前等で「やませみ」の街頭配布
             ◇会報「やませみ」発行時、会報とは別に会員通信を発行
             ◇毎月2回の定例会の他、調査委員会会談、県民休養地推進委員会会議、編集会議及び印刷や発送作業を行っている
             ◇天覧山・多峯主山一帯の自然環境専門別調査の実施(日本自然保護協会の助成を受け、10月より本格的に調査に入る)
             ◇東やつ田の保全作業を随時行っている
 

3、天覧山の両生類と爬虫類

  以前に爬虫類研究所に勤務していた事もあって、この度、天覧山・多峯主山の両生類と爬虫類の棲息種調査を依頼されました。7月から9月にかけて公的・私的な調査4回の調査を行いました。この結果と併せて、この地帯に棲息する両生類と爬虫類を紹介してみたいと思います。
  まず生息環境について。調査地域は4本の沢がほぼ南に向かい、全体が南に開けた日当たりの良い土地となり両生・爬虫類とも棲息しやすい土地となっています。
  両生類は、今回の調査で5種類が確認されました。一番多く見かけたのは、アズマヒキガエルの小さな個体で、ちょうどオタマジャクシから変態して水から出て山腹へ生息地を求めて上ってくる時期にぶつかったようです。かなりの生息数なので、2〜3月にはカエル合戦(産卵で水辺にたくさん集まり、メスの奪い合いをする)が見られるのではないかと思います。アカガエル、ヤマアカガエルはよく似たカエルですが、山腹から山頂の林道ではヤマアカガエル、ホタルの里付近の林ではアカガエルと棲み分けが見られました。シュレーゲルアオガエルはアマガエルに似ていますが、アマガエルよりも大きく林の中で見られます。産卵は田んぼなどの土手の土の中にするので、沢や休耕地から近い部分の林の中で今回見つけました。アマガエルは耕地、休耕地の開けた地域で普通に発見できます。この他、関東地方の田んぼで多く見られるツチガエルやトウキョウダルマガエル、イモリなどが住んでいる可能性があります。また、トウキョウサンョウウオは雨乞いの池などで産卵が確認されていますが、夏の暑い時期の調査であったので、暑さに弱いサンショウウオは見ることが出来ませんでした。成体は水から離れ、林の湿った落ち葉の下などで活動しています。
  爬虫類も5種類発見されました。ニホントカゲとニホンカナヘビは、身近に見られるトカゲで、ニホンカナヘビは東やつで、ニホントカゲはホタルの里付近の人家に近い部分の林道で見られました。アオダイショウは見返り坂下で見つけましたが、人家に近い部分で多く棲息しているものと思われます。昔から人と馴染みの深いヘビで、都市部の民家などでも発見されることがあるくらい人間の生活にも適応しています。ヤマカガシも日本全国で普通に見られるヘビで、赤や黄色の派手な色を持ち、両生類と魚類を補食しているので水辺で多く見かけます。今回は多峯主山山頂付近で捕獲しましたが、これはヤマアカガエルとヒキガエルが多く棲息している事によるでしょう。ヒバカリは茶褐色で黄色い首輪模様のある小形の地味なヘビで、咬まれると「その日ばかりの命」と言われたところからついた名前ですが、実は無毒で大人しいヘビです。今回はヤマカガシと同じく山頂付近で発見しました。カエルやミミズを主食としています。小型のヘビなので見かけることは少ないかもしれません。この地にも棲息している可能性が大きいのは、トカゲの仲間では人家付近にいるであろうニホンヤモリ、ヘビではマムシやシマヘビ、発見がとても難しいシロマダラとタカチホヘビが棲息している可能性があります。クサガメ、イシガメ、ミシシッピアカミミガメもニコニコ池にいる可能性がありますが、これは人為的な要素が強いと思われます。
  今回調査を行っただけで、両生・爬虫類は豊富に棲息している事が伺えますが、これはその餌になる昆虫やミミズなどが豊富と言うことであり、また、両生・爬虫類を主食とする鳥類もまた豊富に棲息できると言う事ではないでしょうか。

作田 仁

4、第4回奥むさし環境講座に参加して

  さる11月26日、守る会の主催する奥むさし環境講座に出席しました。以前にも同様の会があり、その時は身近な物事と自然との意外な関係について興味深くお話を伺いました。今回は駿河台大学教授の内田康夫先生の講演でした。「自然と文学・俳句にみる花鳥諷詠」と言うテーマで、「守る会」とのミスマッチ?に、今まで以上の期待がありました。
  日本では古事記の昔から、五・七・五の韻律が使われ、そこには季節が歌われ、自然が詠み込まれていた。さらに詩歌だけでなく散文作品や、俳画や花鳥画など絵画にも多く取り上げられていて、そこから花鳥風月を愛でるという、日本文化の特質が見えてくるということでした。しかし現代ではこのような特質は生かされず、本来、親しんできたのと正反対に、自然を支配しようとしているようです。
  諸外国の文学作品にも自然を題材とした作品はたくさんあります。中国では杜甫・李白を始めとして、多くの自然描写があるのですが、人の生活を描き出すためで、生活と切り離すことは出来ません。欧米ではルナール「博物誌」やソロー「森の生活」、ファーブル「昆虫記」など科学的・客観的な立場がはっきりと読みとれる作品が非常に多いと言うことでした。
  現代では「歳時記」と呼ばれる、「季寄せ」という形の書物が延々と発行されてきました。 足利吉昭の「連理秘抄」(貞和五年・1349年)以来、昭和38年・1963年の「波郷篇現代歳時記」までに132種類も発行されているという事です。何人もの作者が五・七・五の後に七・七を付けてゆく、「連歌」を集めた連歌集の初め、二条よしもと良基・ぐさい救済編(1356年)「つくば菟玖波集」 が、発句(五・七・五)に「季」を詠み込むこととしたのが「季語」として定められる初めとなりました(短歌では季題とされる)。現在でも、詩歌はもちろん随筆・小説・戯曲・新聞のコラムに至るまでこの歳時記を引用しています。1976年の『新撰俳句歳時記』では「歳時記の中に日本あり」とまで言っています。
  この後、色々な統計が示されました。例えば、代表的な歳時記の内、全季語に占める動植物の割合は約45%近いと言うことです。重ねて、俳句に出現する動植物の割合などが紹介されましたが、文学の素材としての動植物が半数を占めるのは、世界的にも特異であるという事でした。
  さらに、ここに登場する動植物はきれいな花、美しい鳥ばかりではなく「つまらない」草・鳥・花が好んで取り入れられている。西欧文化では、目立つ・美しい物が好まれるが、日本では「名も無き」ものが大事にされる傾向があると言うことでした。
  この後30句以上の実例を挙げて句の鑑賞をしましたが、細部は省略します。
  講演の後質問の時間が設けられました。その中で翻訳の問題についての質問が印象に残りました。それは、最近海外でも「Haiku」が流行しているらしいのですが、それはそのまま「俳句」文化の拡大なのでしょうかと言うものでした。答えの要旨は、言語の使用を必須とする芸術表現は、単純に翻訳したり、同じ価値基準を持って他の国に移す事は非常に難しい。難しいと言うより、同質での移植は不可能で俳句はHaikuではないというものでした。さらに進んで、西洋に於けるNatureは、日本(東洋)での「自然」ではない。それは「する」と「ある」との大きな違いがあると言うものでした。
  最後に、今回の講演で一番心に浮かんでくる印象は、今まで経済的につまらない、利用価値がないとしか評価されていなかった身近な山の田圃や周辺の雑木林が、私たちの実生活を支えていただけでなく、文化(今回の場合文学)の基礎を創る元であったことが良く分かったということでした。

浅野哲示


5、リレーエッセイ 自然とともに生きる 「森と私」

森の中では、人はその年齢をすてさって、常に子供となる。(エマソン)

 京浜東北線王子駅の線路の向こう側に飛鳥山公園がある。その昔、桜の名所として賑わったところである。東京の下町ともいえぬ場所に生まれ育った私にとって、自然にふれあえることのできる場所は、その公園ぐらいしかなかった。ある日、近所の上級生に連れられて、公園の南側の有刺鉄線の塀に遮られた崖に連れていかれた。太股に有刺鉄線の引っ掻き傷を幾本も作りながら、鉄線を乗り越え、足を挫かないように塀からぶら下がり、向こう側に着地する。そこは、人の踏み入れることの少ないかなり急勾配の山の斜面で、木や雑草が繁茂していた。以後この場所は、私たちの聖地であり、遊び場であり、学習の場になった。とにかく遊びに忙しくて、勉強する閑がない私は、この場所へ毎日のように足を運んだ。高さ20メートルほどのその斜面の麓には湧水があり、沼地を形成している場所もあり、何時であったか、水の中でなければ横向きに睡眠をとっているとしか思えない白い猫の死体を発見したことがある。それは、子供たちのささやかな秘密となり、様々な憶測や物語を生んだ。また、その縁は東北線の線路に接しており、側溝となってザリガニのつり場になった。すれすれを東北線が通過していく。車掌に見つかると、それから30分ほどで警察がやってくるので、見張りが交代でつき、側溝にはいつくばって隠れなければならなかった。一度、クラスの委員をやっている友人をこの地に連れていったことがある。その時は折り悪しく警察に見つかり、捜索された。その時彼は、泣いてばかりいて体を動かすこともできず、横面を張り飛ばして、側溝に引きずり込んで、ひたすら隠れて難を逃れたことがある。私は悲しみを覚え、彼とは小学校を卒業するまでほとんど口を利くことはなかった。
  本能的な恐怖心が徹底的に欠如していた当時の私は、山の斜面を狂ったように雄叫びをあげて走り降りた。当時の私は、自分では制御できずに放出され続ける生命力を支える熱情ともいうべきものを自然にぶつけて、ようやく精神の均衡を保っていたのかもしれない。それはきっと、両親にも、友達にも手に余るものだったのだ。だから私は、彼らを頼ることなく自然を信頼し、くたくたになるまで彼に身を委ねたのだ。
  三十路をゆうにすぎて、私は少年時代の熱情を失ってしまったのだろうか。天覧山・多峯主山に足繁く入るたびに、私は、かつての私に出会うことがある。道なき道を転がるように降りていく。それは、かつての私だ。そして、かつての私は今の私に、かつての雄叫びをあげろという。
  それは、きっと魂の叫びなのだ。鬱血した喉仏からほとばしる生きることの救いを求める願いなのだ。
 その後、その聖地は小綺麗な遊歩道ができ、皆に解放された。王子駅に立ってみるとその遊歩道を初老の夫婦が犬を連れて散歩しているのが見えるかもしれない。私たちのような酔狂を尊ぶ少年の姿を見たことはない。でも、その地に幼少時の私たちの放出されたエネルギーは、きっとその地を包んでいるはずだ。

丸山 隆
6、編集室から

  私は「守る会」との関わりが5年ほどになります。『やませみ』も27号となりましたが、お渡しした市民の方に「いつも楽しみにしています。」と声をかけられると、この活動をしていて良かったとつくづく感じます。入会したときは、子供たちに少しでも今ある自然を残してやりたいという気楽な気持ちでしたが、知らず知らずに会との付き合いは深くなりました。これからも多くの市民の意見をお聞きし、紙面の充実を……と思っております。
  ところで、今年は市議選と市長選があります。昨年は日本各地で新しい風が吹き、市民の力量を実感することができました。この緑豊かな奥武蔵の地にも、新しい風が吹くことを願います。

秋郷伸一